僕はこの社会で何がしたかったんだろう
最近職場で、会社のビジョンについて議論する機会がよくあります。
「議論する」というと聞こえがいいですが、正確に言うと僕がひたすら愚痴っている感じです。
僕が勤めるニフティという会社、次の時代に向けた戦略を定めるのに四苦八苦しています。四苦八苦もしてないのかな。「ビジョン?なにそれ」という感じでしょうか。
経営方面の書物を読むと、企業にはまず「企業理念」があり、それに基づいて「ビジョン」が定められ、そのビジョンに基づいて具体的な戦略・戦術が立てられて…というようなことが書いてあると思います。(うろ覚えですが、そんな感じ)
「うちの会社って、理念もビジョンもよくわからないよなあ」
今日もそのことで、上司にひとしきり愚痴をぶつけてみたわけですけれども。
ふと我が身を振り返ってみて、「僕は自分が仕事をしていく上での理念やビジョンを持っているだろうか?」と考えてみました。
話は、僕が就職活動をしていた時期にさかのぼります。
僕は普通の大学の出身ですが、クリエイティブな分野の仕事に携わりたいという気持ちを持っていました。
というのも、もともと高校生のときにクリエイターっぽい職業にあこがれ、美大進学を密かに望んでいたりもしたのですが、周囲に流されてしかたなく普通の大学に進学したという経緯がありまして。
そうはいっても、美大を出ているわけでもない僕が花形のクリエイティブ職で採用されるはずもなく、プロのクリエイターになるという夢はそこであきらめつつありました。
そこで、次の意志が芽生えました。
「自分がプロのクリエイターになれないなら、同じようにプロのクリエイターになりたくてもなれない人たちのために、『誰もがクリエイターになれる社会インフラ』を作ろう」
そのとき、1995年夏。
当時の僕は、インターネットなどほぼやったことのない普通の学生でした。が、その「誰もがクリエイターになれる社会インフラ」を実現するのはコンピュータのネットワークであるということを、なぜか理解していました。(いま思うと、自分でも不思議なのですが)
で、次の就職先ターゲットを、NTTグループなどの「ネットワークっぽいにおいのする会社」に定めました。もちろん、ネットワークの「回線」にはまったく興味がなく、その上を行き交う「情報」だけが興味の対象でした。
そして、自分の思い描く『誰もがクリエイターになれる社会インフラ』の話を、面接の場で話し続けました。
しかし、面接担当者の反応は、けっして芳しいものではありませんでした。その話のどこがいいのか理解されなかったり、あるいは「それっていまあるものじゃダメなんだっけ?」というような反応をされたり。中には、「君、社会を変えるなんておこがましいよ」なんていう言われ方をしたこともありました。
ただ、そういう反応をした人たちのうちの何人かが、こんなことを僕に教えてくれました。
「君のやりたいことは、ニフティサーブをやってる富士通さんなら、ひょっとしたら実現できるかもしれないよ」
そうは言われても、それまで「メーカー」という業種の企業にまったく興味がなかったので、「そうですか!わかりました!」とすぐに気持ちが切り替わったわけではありません。
が、たまたま手にした就職情報誌で富士通のページを開き、ちょうどそのころ富士通が力を入れ始めていたコンテンツビジネスの記事を読んだとき、「ひょっとしてここなら僕のやりたいことができるかも」と漠然と思いました。
実はニフティサーブを運営しているのは富士通とは別の会社であり、富士通が力を入れ始めたコンテンツビジネスとニフティサーブとは直接の関係がなかったのですが、そんなことは知らない僕はふてぶてしくも富士通人事部に直接電話し、「コンテンツやりたいです!」と訴えました。
そんな経緯で僕は、富士通に入社し、その後の組織改編でニフティに移り、今に至ります。
不思議な縁で、行き着くところに行き着いたという感じでしょうか。
最近まで、大学生のころのそんな気持ちは忘れていました。
僕が思い描いた「誰もがクリエイターになれる社会インフラ」なんていうものは、インターネットの普及にともなって、いつの間にか自然にできてしまったんじゃないかと思っていました。
が、近年Web2.0という言葉がもてはやされるようになると、「Web2.0によって情報を発信する手段が一般人に開放された」なんて話を聞くようになりました。
いままでも個人ホームページなどの情報発信手段は存在しましたが、ブログの登場によってそれがより高いレベルに進化したということなのかもしれません。
同様に、映像を発信する手段も、YouTubeの登場によって大きく進歩したといえるでしょう。(「YouTubeっていうのが流行っているらしい」という話を聞いたとき、僕が思い描いていたものがやっと形になって現れたんじゃないかと、すこしどきんとしたのを覚えています。)
そう考えると、「誰もがクリエイターになれる社会インフラ」は決して完成されていたわけではなく、いまも進化の途上にあるのかもしれません。
そんな局面にあって、僕はいまどう行動すべきだろう?とときどき考えます。
社会のためとかじゃなく、自分のために。
「だれもがクリエイターになれる社会」なんていうことを語っても、もう誰にも否定されません。僕が何かをしなくても、社会は自然とそうなっていくんじゃないかという勢いです。
でも、そういう社会の流れの中で、自分に何かできることはないだろうか。そんなふうに思うんです。
僕が仕事をしていくうえで大事にしなくてはいけない「理念」や「ビジョン」があるとしたら、それはこういう気持ちなのかもしれません。
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