2006/2/23

座右の銘

僕には、17歳のとき以来、ずっと座右の銘であり続けた言葉があります。

「士は己を知るもののために死す」

というのが、その言葉です。中国の古典に登場する言葉です。
僕がこの言葉を知ったのは、『十八史略』の中でももっとも有名な、荊軻の始皇帝暗殺未遂のエピソードにおいてでしたが、もともとは、司馬遷の『史記』に登場する豫譲という刺客の言葉らしいです。

読んで字のごとく、「士は自分を評価し、遇してくれる人のために命をかけるのだ」というような意味になります。

「よし、この言葉を座右の銘にしよう」と思ったわけではなく、17歳のときのあるできごとによって、自然と自分の心の中に芽生えました。
自分を信頼してくれる人が現われ、その人に尽くそうと思った…というような話ならよかったのですが、事実は逆です。人の信頼を得られず、とてもつらい思いをしました。親の前で涙を流して泣いたりもしました。
そんな経験から、人の信頼を得ることの難しさ、信頼されることのかけがえのなさを僕は痛感しました。そして、もし自分を本当に信頼し、大切なものを賭けてくれる人がいたら、僕は自分の存在を賭けてその信頼に応えよう…そう誓いを立てたのです。


時は流れ、僕は社会人としてあまり浮かばれない生活を送っていました。Web制作者として成功したいと思いつつも、なかなかその専門能力の重要性を認めてもらえず、「君さあ、制作ばっかりやってないで、そろそろ企画やってよ」なんてことを、ことあるごとに上司から言われていました。

そんなある日、よその部署のあるひとりの課長が僕を呼び出しました。
彼は僕をコーヒーコーナーに連れ込み、こんな話を始めました。

「この会社は、デザインというものをあまりに軽く見ている。俺にはデザインのことはよくわからないが、デザインが大事だということだけはわかる。だから俺はこれからこの会社に、デザインの専門部隊を作ろうと思う。会社の価値観を根本からひっくり返していく大変な仕事になることはわかっている。それでも俺は、必ず成し遂げなければならないと信じている。この仕事を、俺はお前に託したい。お前にその気があるなら、俺の部下になれ。お前が活動するための環境は俺が守る。だからお前は、実績を出し続けることで、デザインを軽視する周囲の価値観を跳ね返せ。そして、この会社一のデザインの専門部隊を作り上げろ」

僕が彼の部署への異動を願い出たのはいうまでもありません。

僕は、彼の信頼に応えるために、自分の社会人としての存在を賭けようと思いました。
そして、そのとき彼が僕に示してくれた目標が、僕の「戦う意味」になりました。

その後、僕もこの上司も部署が変わり、いまではほとんど接する機会もなくなりました。
しかしいまもなお、この目標は、僕にとっての「戦う意味」であり続けています。目標が達成されるそのときまで、そうであり続けるでしょう。


あのときからの活動のおかげもあってか、デザインに対する周囲の見方はだいぶ変化しました。僕個人も、デザインの専門家として認知されるようになりました。
いま、制作者としての僕の能力を評価し、仕事を頼んでくれる人はたくさんいます。その人たちの期待に応えるために全力を尽くす気持ちは、もちろんいまも変わっていません。

でもふと気づくと、あの上司のように、僕を心から信頼し、僕に大切なものを賭けてくれる人は、僕の周りからいなくなっていました。
「自分の存在を賭けてこの人の信頼に応えたい」-そんなふうに思えるような信頼関係は、もうありません。
僕に目標を示し、「戦う意味」を与えてくれる人も、もういません。

そして、17歳のときから変わらず僕の座右の銘であり続け、これからもずっと座右の銘であり続けると信じていたあの言葉は、いつのまにか僕の心から消えていました。

これからは、誰かの信頼に応えるためではなく、自分自身のために、自分の思い描く成功を勝ち取るために戦っていかなければならないのでしょう。


いま33歳。僕は、人生のひとつの転機を迎えているのかもしれません。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://14ch.jp/mt/mt-tb.cgi/429

コメント

いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。

前の記事:« 『彼方の光』
次の記事:» 最近のWebデザイン:光で変わるインターネットライフ

www.flickr.com
This is a Flickr badge showing public photos and videos from 14ch. Make your own badge here.